ヴィクトール・ フランクル 妻

公開日: 11.07.2020

山田:  死んだらどこへいくんだろう。そして死の恐怖というのはありました。これはあまりどなたにも申し上げていないことですけど、例えば夜中にフッと蒲団の上へ起き上がって、ゾッとするという、死の恐怖でね。死ということが絶えず気になっていた。そして私は、教育学部に入りましたんですけど、ゆくゆくは教育哲学の専攻で身を立てていこうと思っていたんですが、教育哲学の最大のテーマは、教育の目的は何か、ということなんですね。それを研究すると。それで一方では、死ということがありましたものですから、人間は何のために生きるのか、と。教育の目的ということを、根本から考えるとすると、人生は何のためにあるのかと。人間は何のために生きるのかと。死んだらすべて終わりじゃないかと。そうすると、どんな教育目的を立てたって、それは根拠のないものであると。そのことが気になって、教育目的論、教育哲学のようなことを本当にやろうとしますと、その死の問題を克服しないといけない。つまりニヒリズム(虚無主義)というものですね。先ほどちょっと申しましたニヒリズムというものを、本当に乗り越えないことには、自分の専門である教育哲学も成り立たないな、ということですね。その問題が大体大学院頃から、学部を卒業して大学院という、その頃から起こってきまして、それでその時にフランクルさんを呼びまして、最初『夜と霧』を読んだんですけども、「人生には無条件に意味があるんだ」ということを、人生には無条件になるんだと。これはニヒリズムの完全な裏返しと言いますか、否定なんですよね。人生肯定論ですね。それを非常にはっきり主張していて、おそらく宗教者は別にしまして、哲学者でフランクルほど、それほどはっきり人生を肯定した人物は多分他にいない。それぐらいに特異な存在だったんですね。フランクルさんを支えにしたということがあるんですけれども、他方ではちょっと甘いんじゃないかという疑問も持っていたんですよ。.

と、まあこういうふうなことをいうんですよね。そして実際に今度の福島の原子力発電所ですね。原爆でなくて原発ですよね。こっち側もベルトダウンしたというふうなことです よね。これがいつ、特に日本列島の場合には、大地震が起こるかもわからない。これはかなり現実的な恐怖感というものを我々日々抱いていると思うんですよね。私は、極限状況という点では強制収容所とよく似た状況ではないかと思いましてね。そういう状況の中で多くの人々が、自分にはもう生きている望みも何もないということで、自ら命を絶っていくという。高圧電流が強制収容所の周りに張り巡らしてあって、それに触れると感電して即死すると。そういう人たちも多く出たと言われています。フランクルは、年来強制収容所に入れられる前から、「どんなことがあっても人生には生きる意味があるのだ。どんな苦しみの中にあっても意味があるのだ」ということを、ずっと考えてきた人ですので、まさにその現場に直面したわけですね。おそらくフランクル自身ですね、ここで自分が今まで考え、主張してきたことが試されているのだと。十字架の試練に遭ってるのだという、自覚を持っていたと思いますね。実際に彼は精神科医でもありましたので、そういう絶望状態にある人たちに励ましの言葉をかけていたわけですね。ちょっとそこのところを読んでみたいと思います。これは『夜と霧』の霜山徳爾 しもやまとくじ さんの訳で申しますと、.

山田:  フランクルの言葉で申しますと、「裸の実存」ということを言っていますんですけども、我々は一切合切何もかも身ぐるみ離れて、地位も名誉も奪われて、そして裸のまま丸ごと放り出されてしまっているという。これ実際ナチスの強制収容所に収容された時、そういう状態になるわけなんですけど、あたかも今度の震災のあの状況を見ていました時に、もう愛する家族も、仕事場も、持っている財産も、すべて津波に流されてしまって、やはり「裸の実存」という感じは致しますですね。もうちょっと申しますと、フランクルが強制収容所から解放された翌年、一九四六年、当時のウィーン市民に向かっ て講演を行うんですね。一九四六年というのは、広島と長崎に原爆が落ちたその翌年ということですね。その講演が「それでも人生にイエスと言う」これなんですけれども、この中でその時代状況について、フランクルがこういうふうなことを言っています。.

みすず書房 フランクルセレクション 『夜と霧』において、ナチスの強制収容所体験を精神科医の眼で記した著者が、大戦前後の社会と心理療法の関係を語る。ウィーンのラジオで放送された26講演。 「無意識の精神性の発見によってエス(無意識)の背後に自我(精神)が見出されたのであるが、今や無意識の宗教性の発見によって内在的自我のさらに背後に超越的汝が見出されたわけである。つまり自我が「無意識でもあるもの」であることがわかり、無意識が「精神的でもあるもの」であることがわかった上に、さらにこの精神的無意識が「超越的でもあるもの」として開示されたわけである。」(本文より)〉 精神医学と宗教は、どのような関係を持ちうるのであろうか。無意識が内在する宗教性を、人間の実存を解明する鍵として考察し、精神療法への応用を志向する。講演集「ロゴスと実存」を併収。.

山田:  近いと。ですからこれだと私も共感できると。これ見つけた時は嬉しかったです。現代のニヒリズムの時代において、そういう共通の根底を見出すということは、一番根本の重要な問題ではないかと。それと同時に、何よりも私自身がそれを見つけないと落ち着けないんですよ、私自身が。ですから私はフランクルとか、西田とか、禅とかね、ちょっとずつ囓っていますけど、何故そんなことをやっているか、と申しますと、私自身がどこで安心 あんじん できるのか、というその問題なんですね。. 山田:  そうなんですね。最初の奥様はティリーという方で、この方は強制収容所で亡くなったんですけども、フランクルさんが解放されて、後に娶られたエリーさんという方ですね。非常に愛想の良い陽気な方ですね。. 次の地域は送料無料: 全ての地域を表示 詳細を閉じる. きき手:  フランクルの考え方は、おっしゃったようにほんとにニヒリズムを越えている、そういう深いものなのか、どうなのかをずっと追ってこられたというわけですか。.

ナレーター:  人間の生きる哲学を探究してきた山田邦男さんは、およそ四十年にわたり、フランクルの思想に向き合ってきました。解放後間もなく出版された『それでも人生にイエスと言う』を始め、数々の著作を翻訳。フランクルの生きる意味の哲学を追い続けてきました。山田さんは、昨年フランクルが収容所で練り上げ、晩年まで改訂を続けたライフワーク『人間とは何か』の翻訳を終えました。東日本大震災が起こって間もなくのことでした。深い苦悩や混乱の中にある私たちに、フランクルの思想は何を語り得るのか。今改めて問い直したいと考えています。.

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  • きき手:  何かお話を伺っていて、そういうふうに視点を変えてみることの大事さがわかる一方で、向こうからの問い掛けなり、呼び掛けてくる人なり、相手とのために生きるというところは、何か自己犠牲的に生きるということと近いのかなという気がしてしまうんですけど。.
  • 山田:  そうなんです。そういうふうに考えるわけですね。そうすると、どんなに今自分が苦しみの直中にいても、その苦しみに意味が与えられるという、そういうことですね。フランクルは、精神科医でもありますので、生きる意味を見失った実存的空虚感を抱いている人ですね。これをフランクルによると、神経症の患者の二十パーセントは、そういうことから起こっているというんですけども、そういう人々の治療する場合に、彼はアドバイスをするわけです。どういうアドバイスをするかというと、観点の転回をするようなアドバイスをするわけです。.

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きき手:  そういうふうになっているからこそ、ずっと前半にお話を頂いたように、向こうからの問い掛けをどう聞くかという。つまり視点の転回ということも、そういうところからしたら当然起こるという、そういうことなんですか。. 山田:  フランクルさんもそうですけど、非常にユーモアのある明るい家庭という感じがしますですね。一九九七年九月に亡くなられましたけど、同じ年の二月にウィーンのご自宅で、玄関にご夫妻でお出迎え頂いて、にこやかに両手で握手をしてくださったんですね。今でも忘れませんけど、その手の温かくて柔らかい感じですね。今でもありありと思い出す感じがしますね。お目にかかる前は、コチコチで行っているんですよ。ところがそのにこやかなお顔を目にしました時に、お目にかかりました時に、そのカチカチになった身体が、凝りのようなものが一遍にほぐれてしまいましてね。それはスッとなんかほぐれてしまったんですよね。.

ナレーター:  ナチスの強制収容所の体験を描いた『夜と霧』。著者・精神科医のヴィクトール・フランクルは、第二次大戦中、四つの強制収容所を経験し生還した数少ない一人です。フランクルは、解放後、その晩年まで一貫して、人間を根底から支える「生きる意味」について思索を続けました。熱心なユダヤ教信者だった母と厳格な父の元、オーストリアのウィーンで生まれたフランクルは、医学と 哲学の接点を求めて精神科医となりました。「人間は、元来生きる意味を求める存在だ」と考えたフランクルは、患者たちが生きる意味を見出すための精神療法を実践していました。収容所に送られたのは、そうした最中 さなか 三十七歳の時でした。人間としての尊厳を奪われ、常に死と隣り合わせの極限を、人は如何に生きることができるのか。フランクルは、苦悩の直中にある人間を支える生きる意味の重要性を、自らの体験を通して確かめることになりました。解放 後、ウィーンに戻ったフランクルは、独自の精神療法を確立する一方、戦後生きる意味を見失って彷徨 さまよ う世界中の人々に、「どんな時にも人生には生きる意味がある」という哲学を説き続けました。.

きき手:  何かお話を伺っていて、そういうふうに視点を変えてみることの大事さがわかる一方で、向こうからの問い掛けなり、呼び掛けてくる人なり、相手とのために生きるというところは、何か自己犠牲的に生きるということと近いのかなという気がしてしまうんですけど。. 山田:  死んだらどこへいくんだろう。そして死の恐怖というのはありました。これはあまりどなたにも申し上げていないことですけど、例えば夜中にフッと蒲団の上へ起き上がって、ゾッとするという、死の恐怖でね。死ということが絶えず気になっていた。そして私は、教育学部に入りましたんですけど、ゆくゆくは教育哲学の専攻で身を立てていこうと思っていたんですが、教育哲学の最大のテーマは、教育の目的は何か、ということなんですね。それを研究すると。それで一方では、死ということがありましたものですから、人間は何のために生きるのか、と。教育の目的ということを、根本から考えるとすると、人生は何のためにあるのかと。人間は何のために生きるのかと。死んだらすべて終わりじゃないかと。そうすると、どんな教育目的を立てたって、それは根拠のないものであると。そのことが気になって、教育目的論、教育哲学のようなことを本当にやろうとしますと、その死の問題を克服しないといけない。つまりニヒリズム(虚無主義)というものですね。先ほどちょっと申しましたニヒリズムというものを、本当に乗り越えないことには、自分の専門である教育哲学も成り立たないな、ということですね。その問題が大体大学院頃から、学部を卒業して大学院という、その頃から起こってきまして、それでその時にフランクルさんを呼びまして、最初『夜と霧』を読んだんですけども、「人生には無条件に意味があるんだ」ということを、人生には無条件になるんだと。これはニヒリズムの完全な裏返しと言いますか、否定なんですよね。人生肯定論ですね。それを非常にはっきり主張していて、おそらく宗教者は別にしまして、哲学者でフランクルほど、それほどはっきり人生を肯定した人物は多分他にいない。それぐらいに特異な存在だったんですね。フランクルさんを支えにしたということがあるんですけれども、他方ではちょっと甘いんじゃないかという疑問も持っていたんですよ。.

  • 星雲社 フランクル心理学入門 フランクル心理学の全体像をはじめて正しくかつわかりやすく説くと共に、自己発見や癒しにどう使い、学校現場や企業でどう使えるかを説いた恰好の入門書。 内容(「MARC」データベースより) 「夜と霧」「それでも人生にイエスと言う」の著者フランクルの心理学のエッセンスを、はじめてわかりやすく説いた入門書。「生きるのがむなしくなった"自分"を変える心理学」決定版。. みすず書房 フランクルセレクション 『夜と霧』において、ナチスの強制収容所体験を精神科医の眼で記した著者が、大戦前後の社会と心理療法の関係を語る。ウィーンのラジオで放送された26講演。 「無意識の精神性の発見によってエス(無意識)の背後に自我(精神)が見出されたのであるが、今や無意識の宗教性の発見によって内在的自我のさらに背後に超越的汝が見出されたわけである。つまり自我が「無意識でもあるもの」であることがわかり、無意識が「精神的でもあるもの」であることがわかった上に、さらにこの精神的無意識が「超越的でもあるもの」として開示されたわけである。」(本文より)〉 精神医学と宗教は、どのような関係を持ちうるのであろうか。無意識が内在する宗教性を、人間の実存を解明する鍵として考察し、精神療法への応用を志向する。講演集「ロゴスと実存」を併収。.
  • きき手:  フランクルの考え方は、おっしゃったようにほんとにニヒリズムを越えている、そういう深いものなのか、どうなのかをずっと追ってこられたというわけですか。.

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山田:  近いと。ですからこれだと私も共感できると。これ見つけた時は嬉しかったです。現代のニヒリズムの時代において、そういう共通の根底を見出すということは、一番根本の重要な問題ではないかと。それと同時に、何よりも私自身がそれを見つけないと落ち着けないんですよ、私自身が。ですから私はフランクルとか、西田とか、禅とかね、ちょっとずつ囓っていますけど、何故そんなことをやっているか、と申しますと、私自身がどこで安心 あんじん できるのか、というその問題なんですね。. 次の地域は送料無料: 全ての地域を表示 詳細を閉じる. みすず書房 フランクルセレクション 『夜と霧』において、ナチスの強制収容所体験を精神科医の眼で記した著者が、大戦前後の社会と心理療法の関係を語る。ウィーンのラジオで放送された26講演。 「無意識の精神性の発見によってエス(無意識)の背後に自我(精神)が見出されたのであるが、今や無意識の宗教性の発見によって内在的自我のさらに背後に超越的汝が見出されたわけである。つまり自我が「無意識でもあるもの」であることがわかり、無意識が「精神的でもあるもの」であることがわかった上に、さらにこの精神的無意識が「超越的でもあるもの」として開示されたわけである。」(本文より)〉 精神医学と宗教は、どのような関係を持ちうるのであろうか。無意識が内在する宗教性を、人間の実存を解明する鍵として考察し、精神療法への応用を志向する。講演集「ロゴスと実存」を併収。.

きき手:  そういうふうになっているからこそ、ずっと前半にお話を頂いたように、向こうからの問い掛けをどう聞くかという。つまり視点の転回ということも、そういうところからしたら当然起こるという、そういうことなんですか。.

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春秋社 V E フランクル 逆境の心理学 フランクルの熱いメッセージ. ナレーター:  山田さんは、しばしば散歩に出掛けます。禅の修行にも取り組み、竹林で作務 さむ を行っていた山田さんにとって、竹林は馴染み深い場所です。. 山田:  いろいろございますが、私自身の個人的なことで申しますと、父親が早く、私が生まれて半年後に亡くなっていましてね。それで特にそのことを意識するということはなかったんですけれども、何かやはり無意識のうちに死ということを気にしていたと申しますかね、考えていたと申しますか、そういう気分があったと思いますね。. 山田:  それは大事なことだと思いますね。「生きる意味」というのは、自分の力だけでは出てこないですね。フランクルの場合も同じことがありまして、収容されるまでに自分のライフワークだと思っていた原稿がありまして、その原稿を持ったまま強制収容所に収容されたんですけども、収容された当初にそれを奪われてしまうわけです。フランクルはどうしてもその仕事を仕上げたいということで、ナチスのメモ用紙みたいなのがありまして、速記でポイントポイントを書き込むんですね。発疹チフスで高熱でうなされている、そういう最中でそういう作業を行うわけですね。 フランクルは自分が書いているんだけども、自分がその仕事を成し遂げたいんだけれども、果たして仕上げられるかどうかわからないわけなんですよね。もうギリギリの状況でやっていますのでね。その時に、もしもこの仕事を成し遂げられなかったらどうだろうか、ということも考えるわけですね。『回想録』の中でこんなことを言っていますね。.

ナレーター:  人間の生きる哲学を探究してきた山田邦男さんは、およそ四十年にわたり、フランクルの思想に向き合ってきました。解放後間もなく出版された『それでも人生にイエスと言う』を始め、数々の著作を翻訳。フランクルの生きる意味の哲学を追い続けてきました。山田さんは、昨年フランクルが収容所で練り上げ、晩年まで改訂を続けたライフワーク『人間とは何か』の翻訳を終えました。東日本大震災が起こって間もなくのことでした。深い苦悩や混乱の中にある私たちに、フランクルの思想は何を語り得るのか。今改めて問い直したいと考えています。.

  • 山田:  これ(写真)二枚ございますんですけどね。.
  • ナレーター:  山田さんは、しばしば散歩に出掛けます。禅の修行にも取り組み、竹林で作務 さむ を行っていた山田さんにとって、竹林は馴染み深い場所です。.
  • 山田:  それはまさに同じことでして、そうしてくれたことによって、我々はこの本を通して、本当のフランクルに接することができる、というふうにも言えると思うんですよね。ですからフランクルが、我を忘れて原稿の執筆に専心したと。そのことの中に本当のフランクルが現れている。.
  • 山田:  そうなんですね。当初私が気が付かなかったようなフランクル思想の深さというものが、その京都学派の思想を平行して調べているうちに、フランクルの思想も実は非常に深いものがあって、禅とか京都学派が言っていることと、非常にほとんど酷似しているというふうな、そういうところまで接近してきたんですね。それはもう比較的最近のことなんですけど。.

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亡命のチャンスを見送って収容所に…『夜と霧』のフランクル

きき手:  人がやはり過酷な状態の中で生きていく力を得る。生きていく意味を見出すのは、そういうふうに何か自分に問われているものがあるんじゃないか、というふうに思える時である、ということなんですか。. ナレーター:  山田さんは、しばしば散歩に出掛けます。禅の修行にも取り組み、竹林で作務 さむ を行っていた山田さんにとって、竹林は馴染み深い場所です。. 山田:  それは大事なことだと思いますね。「生きる意味」というのは、自分の力だけでは出てこないですね。フランクルの場合も同じことがありまして、収容されるまでに自分のライフワークだと思っていた原稿がありまして、その原稿を持ったまま強制収容所に収容されたんですけども、収容された当初にそれを奪われてしまうわけです。フランクルはどうしてもその仕事を仕上げたいということで、ナチスのメモ用紙みたいなのがありまして、速記でポイントポイントを書き込むんですね。発疹チフスで高熱でうなされている、そういう最中でそういう作業を行うわけですね。 フランクルは自分が書いているんだけども、自分がその仕事を成し遂げたいんだけれども、果たして仕上げられるかどうかわからないわけなんですよね。もうギリギリの状況でやっていますのでね。その時に、もしもこの仕事を成し遂げられなかったらどうだろうか、ということも考えるわけですね。『回想録』の中でこんなことを言っていますね。.

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知っておきたい:

コメント

  1. 山田:  そうなんです。そういうふうに考えるわけですね。そうすると、どんなに今自分が苦しみの直中にいても、その苦しみに意味が与えられるという、そういうことですね。フランクルは、精神科医でもありますので、生きる意味を見失った実存的空虚感を抱いている人ですね。これをフランクルによると、神経症の患者の二十パーセントは、そういうことから起こっているというんですけども、そういう人々の治療する場合に、彼はアドバイスをするわけです。どういうアドバイスをするかというと、観点の転回をするようなアドバイスをするわけです。. みすず書房 死と愛 アウシュヴィッツ体験が生んだ医学的指導の古典。生命・死・苦悩・労働の意味をたずね、個人の独自な生命の発見にみちびく。 この本はアウシュヴィッツの地獄のなかから鍛え出された宝石のような書物である。人生について、愛について、苦悩について、著者のことばを辿ってゆくならば、朝明けのような清々しさでこの本のもつ方向指示力、その治癒力を感得できるであろう。 年、第二次世界大戦の直後にウィーンで出版されたときの反響は驚くばかりだった。これはフロイトの精神分析いらい、心理療法の世界に出現したもっとも重要な著作となった。フロイトの「コンプレクス」アドラーの「劣等感」のような心理レベルの現象への逃避に甘んずることなく、外面的・仮面的なものをのりこえて、人間の意志、その意味への志向に注目する。すなわち人間の意識性と責任性という二つの根本事実を確認し、勇気と内的な強さを与える。 その豊かな思考方法、深い独創性は弁証法であり、詩的なリズムの文体と相まって、医師・心理家・教育者などにとって欠くことのできない書物となった。 [初版年4月発行] 目次 第一章 心理療法からロゴテラピーへ 第二章 精神分析から実存分析へ 第1節 一般的実存分析 1 生命の意味    死の意味/強制収容所の心理 2 苦悩の意味 3 労働の意味 4 愛の意味 第2節 特殊実存分析 a 不安神経症の心理 b 強迫神経症の心理 c 鬱病の心理 d 精神分裂病の心理 第三章 心理的告白から医学的指導へ 訳者あとがき 著訳者略歴 ヴィクトール・E・フランクル.

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